「同床異夢(どうしょういむ)」という四字熟語は、ニュースや評論、ビジネスシーンでもしばしば登場します。直訳すると「同じ床に寝て違う夢を見る」という意味で、表面的には同じ行動をしていても、心の中ではそれぞれ別の考えや目的を持っていることを表します。この記事では、「同床異夢」の意味、使い方、語源、そして現代的な使われ方までを詳しく解説します。
1. 「同床異夢」とはどういう意味か
「同床異夢(どうしょういむ)」とは、同じ立場や行動を共にしていても、心の中ではそれぞれ異なる考えを持っていることを意味する。
- 同床:同じ床(場所)に寝る、つまり行動を共にすること。
- 異夢:見る夢が違う、つまり考えや目的が違うこと。
→ 表面上は協力していても、本音や目標が一致していない状態をたとえる言葉である。
例:
- 同じプロジェクトに参加していても、目的が違えば同床異夢になる。
- 政治連立の多くは同床異夢に終わることがある。
- 夫婦であっても価値観がずれれば同床異夢だ。
2. 「同床異夢」の語源・由来
この言葉は、中国の古典『世説新語(せせつしんご)』に由来する。
東晋時代(4世紀頃)の故事において、「同じ床に寝ても心が違えば、見る夢は異なる」という意味で使われた。
→ 「同じ環境にいても心が違えば理解し合えない」という人間関係の本質を表した言葉である。
のちに日本でも「意見が食い違う」「目的が違う」ことを示す比喩として広まった。
3. 「同床異夢」の使い方
3-1. ビジネス・組織で使う場合
- 部門間で方向性が合わず、同床異夢の状態になっている。
- 経営陣と現場の認識がずれており、まさに同床異夢だ。
- チーム全体で目標を共有しなければ、同床異夢に陥る。
→ 「協力しているようで、実は目的が違う」状況を指す。
3-2. 人間関係・社会問題の文脈で
- 夫婦仲は良さそうに見えても、実は同床異夢だった。
- 国際連携といいながら、各国の思惑が異なるのは同床異夢の典型だ。
- 表面上の協調に見えて、裏では同床異夢が起きている。
→ 主に「表面的な一致と内面的な不一致」を示す時に使われる。
4. 「同床異夢」を使った例文
- 表面的に団結していても、実際には同床異夢のチームだった。
- 政党の連立は多くが同床異夢で、長続きしにくい。
- 取引先との提携も、目的が違えば同床異夢に終わる。
- 夫婦で同じ方向を向いていないと、同床異夢になる危険がある。
- 共通のプロジェクトでも、各自の思惑が異なれば同床異夢だ。
5. 類義語・対義語
| 分類 | 言葉 | 意味・特徴 |
|---|---|---|
| 類義語 | 意見相違 | 考えや方針が合わないこと。 |
| 類義語 | 各自各様 | それぞれが自分の考えを持っている状態。 |
| 類義語 | 仮面夫婦 | 外見上は仲が良いが、実際は不和であること。 |
| 対義語 | 一心同体 | 心を一つにして協力すること。 |
| 対義語 | 和衷協同 | 心を合わせて力を合わせること。 |
→ 「同床異夢」は「見た目の一致」と「内面の不一致」を表すのに対し、対義語は「心の一致」を表す。
6. 英語での「同床異夢」表現
英語には完全に一致する表現はないが、意味を近く伝えるには以下のように言える。
- to have different goals despite working together(一緒に働いていても目的が違う)
- to be on the same boat but with different directions(同じ船に乗っているが、向いている方向が違う)
- superficial unity, inner discord(表面的な一致と内面的な不一致)
例文:
- The coalition government is on the same boat but heading in different directions.(その連立政権は同床異夢の状態にある。)
- They seem united, but they actually have different goals.(見た目は協力しているが、実は目的が違う。)
7. 「同床異夢」という言葉が持つ印象
「同床異夢」は、人間関係のもろさや組織の形だけの団結を鋭く表した言葉である。
特にビジネスや政治の場では、「表向きは協力しているが、裏では思惑が違う」状況を的確に指摘するのに使われる。
また、夫婦関係や友情にも当てはまる、人の心のずれを表す象徴的な表現といえる。
8. まとめ
「同床異夢(どうしょういむ)」とは、表面上は共に行動していても、心の中では異なる目的や考えを持っていることを意味する四字熟語である。
由来は中国の故事で、「同じ床に寝ても夢は違う」という人間の心の不一致を象徴している。
政治・ビジネス・人間関係など幅広い場面で使えるが、どこか皮肉なニュアンスを含む表現でもある。
