えたひにんとは、江戸時代の日本において社会的に差別されていた被差別身分の人々を指す言葉です。現代ではあまり使われませんが、歴史的背景や社会的影響を知ることで、日本の身分制度や社会の構造を理解する手がかりとなります。本記事では、えたひにんの意味、由来、歴史、生活、文化的影響、現代の状況まで詳しく解説します。
1. えたひにんの読み方と基本的意味
1‑1. 読み方
「えたひにん」はひらがな表記が一般的ですが、漢字では「穢多非人」と書きます。「穢多(えた)」と「非人(ひにん)」に分けられ、それぞれ異なる意味を持っています。
1‑2. 意味の詳細
えたひにんは、江戸時代の身分制度における被差別階級を示す総称です。
「穢多」…社会的に「穢れが多い」と見なされた人々で、主に屠殺や皮革加工、死体処理などの職業に従事
「非人」…一般庶民とは異なる扱いを受けた者で、刑罰や生活全般に制約を受けた
つまり、えたひにんとは「特定の職業に従事し、社会的差別を受けた身分」のことを指します。
2. えたひにんの歴史的背景
2‑1. 古代から中世までの身分制度
日本には古くから身分制度が存在し、貴族や武士、庶民、そして被差別身分に分かれていました。えたひにんの起源は平安時代以前にさかのぼることができ、死体処理や皮革加工などの職業に従事する人々が「穢れた者」として扱われていました。
2‑2. 江戸時代の固定化
江戸時代になると、身分制度はより厳格化され、えたひにんは法律的にも社会的にも明確に区分されました。幕府は「穢多非人」を庶民から隔離し、居住地や婚姻、職業の自由を制限しました。都市部では「被差別部落」に居住し、生活のほとんどが制約されました。
2‑3. 社会的役割
えたひにんは、当時社会に不可欠な役割を担っていました。主に以下の職業に従事していました。
屠殺業(家畜の解体)
皮革加工(革製品の製造)
清掃や死体処理
これらの職業は庶民から忌避されていましたが、社会経済の維持には欠かせないものでした。
3. えたひにんの生活と制約
3‑1. 居住制限
えたひにんは被差別部落に居住することが多く、庶民とは物理的にも隔離されていました。地域によっては街道沿いや河川沿いなど、社会の中心から離れた場所に集住することを義務付けられていました。
3‑2. 職業制限
えたひにんは職業が限定されており、屠殺、皮革加工、清掃など「穢れ」と見なされる仕事に従事することが求められました。他の職業に就くことは非常に困難で、自由な職業選択はできませんでした。
3‑3. 社会的差別
結婚や日常生活においても制約があり、庶民との交流は制限されていました。服装や髪型、住居の形態にも規制があり、社会的に区別されました。子どもにも教育や職業の制約が影響し、世代を超えて差別が固定化されることもありました。
4. 明治維新とえたひにんの法的解放
4‑1. 解放令
明治時代、1871年に出された「解放令」により、えたひにんの身分は法的に廃止されました。これにより、社会的地位は法的に平等とされ、職業や居住の制約も撤廃されました。
4‑2. 社会的偏見の残存
法的解放後も、差別意識や偏見は長く残りました。教育や職業選択の自由は保障されましたが、地域や人間関係において根強い偏見が存在しました。
4‑3. 現代への影響
現代においても、江戸時代や明治時代に由来する部落差別の意識が一部地域で残ることがあります。行政や教育、企業などで差別解消の取り組みが進められており、人権意識の向上が求められています。
5. えたひにんと文化・社会
5‑1. 文学や芸能での描写
えたひにんや被差別部落の人々は、江戸時代の文学や歌舞伎などで題材として描かれることがありました。当時の社会意識や身分制度の影響を知る上で、重要な文化資料となっています。
5‑2. 社会運動と権利改善
明治以降、多くの社会運動や人権活動家がえたひにん出身者やその子孫の権利改善に取り組みました。教育や就業機会の拡大、住居の自由化など、偏見の解消に向けた努力は現在も続いています。
6. まとめ
えたひにんは、江戸時代の日本で存在した被差別身分であり、屠殺業や皮革加工など「穢れ」と見なされた職業に従事していました。明治維新で法的に解放されましたが、偏見や差別は長く残り、現代社会においても人権意識を考える上で重要な歴史的背景となっています。えたひにんの歴史を理解することは、日本社会の多様性や差別の構造を知る手がかりとなるのです。
