「小作人(こさくにん)」という言葉は、日本の近代史や土地制度を語るうえで欠かせない用語です。かつて日本の農村社会では、土地を持たない農民が地主から土地を借りて耕作するという仕組みが存在しました。彼らが「小作人」と呼ばれた人々です。
この記事では、「小作人」という言葉の意味、歴史的な背景、戦後改革との関係、そして現代社会とのつながりまでを丁寧に解説します。

1. 「小作人」とは何か

1-1. 小作人の基本的な意味

「小作人」とは、他人の所有する土地を借り受けて耕作し、その収穫の一部を地主に納める農民のことを指します。
つまり、自分の土地を持たない「借り手の農民」であり、地主(じぬし)に土地代として「小作料」を支払う立場にありました。
現代の感覚でいえば、土地を借りて農業を行う“テナント農家”に近いものですが、戦前の日本では地主と小作人の関係が非常に不平等で、経済的・社会的に大きな格差が存在していました。

1-2. 「小作」という言葉の由来

「小作」という語は、中国の古い文献にも登場する言葉で、もともと「他人の土地を借りて耕すこと」を意味します。
「小」は“他人の下で働く”という意味合いを持ち、「作」は“耕すこと”を示します。したがって「小作人」とは、他人の土地で労働する人=地主に従属する農民という意味を持っています。

2. 日本における小作人制度の成立

2-1. 江戸時代の土地制度

江戸時代の初期には、農民は原則として自分の土地を耕していました。しかし、次第に経済格差が広がると、豊かな農民が土地を買い集め、貧しい農民は土地を手放して「小作人」となっていきました。
地主は自ら農作業をせず、小作人に土地を貸し付けて小作料(収穫物の一定割合)を得る仕組みを作り上げます。この関係は“地主と小作人”という封建的構造として定着していきました。

2-2. 明治維新後の変化

明治政府は「地租改正(ちそかいせい)」を行い、土地の所有権を明確にしました。これにより、地主が正式な土地所有者として登記され、農民の多くはその土地を借りて耕す小作人となります。
この制度は一見、近代的な土地制度の整備のように見えましたが、実際には地主階級に有利な仕組みでした。農民は土地を所有できず、収穫の半分近くを小作料として納めることも珍しくありませんでした。

3. 小作人の生活と社会的地位

3-1. 経済的な厳しさ

小作人の生活は非常に厳しいものでした。地主に支払う小作料は、年によっては収穫の半分以上にもなり、さらに不作の年には借金を重ねて生活をつなぐしかありませんでした。
農具や肥料などの費用も自分で負担するため、労働に見合う収入を得ることは難しかったのです。
また、小作料の支払いは現物(米や麦など)で行われることが多く、貨幣経済が浸透していく中でも、農民の生活は依然として封建的な束縛の中にありました。

3-2. 地主との関係

地主は多くの場合、村の有力者であり、政治的にも経済的にも絶大な権力を持っていました。小作人は地主に従属的な立場にあり、契約内容の変更や小作料の交渉を行うことはほとんど不可能でした。
地主は村の祭りや役場、学校などの運営にも影響力を持っており、小作人の生活は地主の意向に大きく左右されていたのです。

4. 小作争議と農民運動の拡大

4-1. 明治後期から大正時代の小作争議

明治の終わりから大正時代にかけて、農村では小作人たちが立ち上がるようになります。高すぎる小作料や不当な契約に対して、小作人が地主に減額や条件改善を求める「小作争議」が全国で発生しました。
代表的なものに「山形県高畠町の小作争議」や「長野県諏訪地方の争議」などがあります。これらの運動は、社会主義運動や労働運動とも結びつき、日本社会の民主化運動の一翼を担いました。

4-2. 小作法の制定

1924年(大正13年)には、ついに「小作法」という法律が制定されました。これは小作人の権利を守るための初めての法律であり、地主による一方的な契約破棄や過度な小作料の徴収を制限する内容を含んでいました。
ただし、実際の運用では地主側の力が依然として強く、小作人の立場が根本的に改善されたとは言い難い状況が続きました。

5. 戦後の農地改革と小作人制度の終焉

5-1. 農地改革の実施

第二次世界大戦後、連合国軍(GHQ)の主導によって日本の農地改革が実施されました。1946年から1949年にかけて行われたこの改革では、地主の持つ農地の大部分が国によって買い上げられ、小作人に安価で売り渡されました。
これにより、小作人は土地の所有者となり、自分の土地を自由に耕せるようになりました。この政策は「農地解放」とも呼ばれ、戦後の日本農村に大きな変化をもたらしたのです。

5-2. 農地改革の成果と影響

農地改革によって、日本の農民の約7割が自作農(じさくのう)となり、地主と小作人の不平等な関係はほぼ消滅しました。
結果として、戦前のような貧困や搾取の構造が大幅に改善され、農村の社会的安定に寄与しました。
この改革は、戦後日本の民主化政策の象徴的な成功例とされています。

6. 現代社会における「小作人」的構造

6-1. 現代の農業と土地所有

現在では、「小作人」という言葉はほとんど使われなくなりました。しかし、農業の現場では、依然として「農地の貸し借り」は存在します。
現代では「賃借農家」や「農地利用権設定」という制度によって、他人の土地を借りて農業を行うケースが一般的になっています。
ただし、昔のような搾取関係ではなく、契約に基づく平等な立場での農業経営が行われています。法的には「農地法」によって、借り手の権利が明確に保護されるようになりました。

6-2. 社会的な比喩としての「小作人」

今日では、「小作人」という言葉が比喩的に使われることもあります。たとえば、企業における非正規労働者や下請け業者を指して、「現代の小作人」と呼ぶことがあります。
これは、経済的に上位に立つ企業や組織に従属し、自らの生産物や労働の成果を十分に得られない立場を象徴する表現です。
このように、「小作人」という言葉は歴史的な農業制度だけでなく、現代の労働や社会構造を考える上でも重要なキーワードとなっています。

7. まとめ:「小作人」という言葉が残した教訓

「小作人」とは、土地を借りて耕す人々を指す言葉であり、日本の歴史の中で長く存在した社会的階層を表す概念です。
その背後には、封建的な支配構造、不平等な契約、そして人々の生存をかけた闘いがありました。
戦後の農地改革によって小作制度は姿を消しましたが、その経験は現代社会にも大きな影響を与えています。権力の偏りが生む格差や、不公正な構造に対して声を上げる大切さは、今も変わりません。
「小作人」という言葉を通じて、私たちは経済の仕組みだけでなく、人間の尊厳と平等について改めて考えることができます。過去の小作人たちが築いた努力と歴史は、現代の社会正義の礎となっているのです。

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